空港が見たい
まだ梅雨に入る前の、少し日差しのきつい午後だった。
タクシーの仕事はまず、朝が勝負
通勤利用から、午前中の病院通いなどでひっきりなしに仕事が入る。
ここでいかに効率良く動くかが一日を左右する。
良いスタートが切れたからと言って、その日がうまくいくわけではない。
しかしスタートにつまづけば、その日が終わる…
ここは成功を求める勝負ではなく、失敗を逃れる戦いである。
仮に朝一で大阪(遠方)が当たって1万ほど上がっても、行って帰って2時間かかれば、近場をまわっていても同じくらいは出来るのである。
逆にここで時間2千(円)ほどの失態を犯せば、なかなか取り戻せないという流れになることが多い。
このピリピリした戦いはおよそ昼過ぎまで続く。
タクドラは12時に昼飯を食っていては仕事にならない。
病院帰りの年配者、昼の買い物帰り、仕事の会食での利用などの需要を掴んでからでないと飯は食えない。
そしてやっと14時過ぎに一息つける
そのころだった。
駅から少し離れたマンション街の一角で、老人がこちらを見ていた。
手を上げるでもない。
しかしこちらを見ている。
こっちも気になるからその老人を見ると、目が合う。
すると右手を少し上げようと、平行までいかないくらい、手を動かした。
えっ?何?
通り過ぎようとしながら、さらに見ていると、平行をやや超えるくらいまで手が上がった。
俺が車を停めたときは既にその老人を20メートルくらい通り過ぎていた。
バックして、老人の前につける。
「いやぁ、悪いな」
「こんにちは」
近いところだから、手を上げづらかったんやろな。
午後になれば、客を捕まえるのも一苦労になる。
近くても、その辺で油を売っているよりは良い。
そう思って、わざわざバックしてまで、仕事を取りに行った。
「空港行ってくれるかな」
「空港?ですか?」
「うん、神戸空港」
遠いやないか。
6千円くらは出るかな。
「わかりました(ラッキー)」
「空港行って、ちょっと空港見たいだけやから、そのまま、またここまで戻ってきてほしいんやけど」
「…往復、ですか?(ラッキーすぎる)」
俺は車を走らせた。
「…ちょっと、これなんとかならんのか」
老人は、後部座席前にあるタクシーGOのタブレットを指している。
「これが邪魔で景色が見えへんねん」
「はぁ…それ外せるのかな」
「前(助手席)に座っても良いか?前の景色が見たいねん」
「…はい、構いませんけど」
若い頃大阪でタクシー乗ってた頃、西成で乗ってきたゲイなんか普通に助手席乗ってきて難儀したのを覚えてるけど。
1人乗車で助手席に乗ってくるのって、あれ以来かな。
まあこのおじいさんはゲイではないやろうけど(分からんで)。
老人は助手席に座ると、嬉しそうに景色を見始めた。
「いいなぁ、やっぱり(車は)」
「(自分で)車は乗らないんですか」
「せやな。まだ免許は返してないけど、敢えて乗ることもないな。この歳やし」
いつも車に乗っていて、景色を見ているし、それが好きだからこの仕事をやっているが、車をあまり運転しない人にこういうことを言われると、改めて幸せな職業だと感じる。
そら、車に乗って仕事してる人なんて山ほどおるやん
と言われそうだが、なんか違うんやんな。
(どこかへ行く)手段として車に乗っている人たちと、それ(運転)そのものが仕事である俺たちとは。
「恥ずかしい話やけど、わし独身やねん」
「はぁ…」
別にそんなこと聞いてないけど、どんな流れやねん。
「この歳になってな。ほんまに恥ずかしいわ」
「いえ、そんなことないですけど。おいくつなんですか?」
タクシーに乗っていると老人に年齢を聞くことは特に失礼なことでもなく、多くの場合年齢を聞いてほしい人が多いことを知る。
この歳でも、わし、わたし元気やろ?「元気」言うて、「若いですねぇ」言うてほしいねん。
そんな空気を、圧を感じるのである。
「72(歳)」
「…あ、あぁ、そうですか!まだお若いですやん!」
こういう場合、見た目より年齢が高いことが多いのだが、正直見た目は80代くらいに見えた。
「そんなことないわ。もうあかんわ」
「一人暮らしなんですか?」
「いや、兄弟と3人暮らしや。姉と妹と、これも恥ずかしい話、みんな独身やねん。生涯独身。結婚したこともない」
「はぁ、それは確かに珍しいですね。でも兄弟仲良く暮らしてるんなら、良いですやん。兄弟なんて、歳取ったらというか、それほど若くても喧嘩して仲悪かったりよく聞きますから」
「それは確かにそうかもしれんけど」
「女性家系なんですね」
「せやねん。みんな教員免許持ってるんや」
「へぇー!それもすごいですね!先生されてたんですか」
「いや、結局教師はやらんかった。大学の事務員や」
「なんで先生にならなかったんですか」
「そういうのな。苦手やねん。親が教師やったから免許は取ったけど」
人付き合いが苦手いうことかな。
確かに、見た目が悪いこともないし。性格も温和そう。大学の事務員なら収入も悪くないやろう。それで独身ということは、女性、だけでなく、人付き合いが苦手やったんやろか。
「大学の事務員なら収入も安定してたんやないですか」
「甲南大学やからな。もちろんそれなりにはもらってたで」
「甲南大学ですか!ええ学校やないですか」
「甲南はええ学校や。甲南の小中学校から御影高、甲南出て、それから定年まで甲南大学やから、生涯甲南やな」
「はぁー、立派な経歴ですね。うらやましいですわ」
「退職するとき理事になってくれ言われたんやけどな。断ったんや」
「何で断ったんですか」
「そういうの苦手やねん」
「はぁ…、でも理事ならそこそこ(手当)もらえるんやないですか」
「理事なら何年かやれば月150万ほどはもらえるやろな」
「150万!!なんで断ったんですか!」
「みんなそういうねん。姉さんも妹もな、友達もみんな、『なんで断ったんや。お前あほや』って」
そら、言われるわ。
そんな話をしながら、空港に着いた。
車寄せに停めて、「(駐車場で)待っときます」言おうと思ったが、なんとなく自分も空港に入りたくて(もちろん入ったことはあるが)、
「わたしも一緒に入りましょうか」
と提案すると、
「うん、一緒に行こう」
と言ってくれた。
「それなら駐車場に車停めてきます」
「その辺(入口付近)で待っとくわ」
と言っても、やはりお客さん、入口付近、外なら暑いやろし、そんなに長いこと待ってもらうわけにもいかないので、少し急いで駐車場に入るが、
これが、空きがなかなかない。
平日の空港の駐車場、空きスペースだらけやと思ったが、少しびっくりした。
それでもやっと空きを見つけて、車を停め、小走りで空港エントランスに向かう。
「待たせてしまって、すみません。空いたところがなかなかなくて…」
「いや、えらい待ったで。まあ行こか」
老人と、中年タクシードライバーの変なコンビが空港に入っていく。
客観的に見たら、奇妙やろな。
ここまでの経緯を知らなければ、意味分からんコンビである。
そんなことを考えながらも、空港は好きなので、中年タクドラは嬉しそうにキョロキョロしている。
Comments
Post a Comment